五円玉についての見方が、最近すっかり変わってしまいました。
あの穴のあいた硬貨って、子どもの頃から当たり前に見てきたはずなのに、正直なところ、これまで深く考えたことなんてありませんでした。
でも調べてみると、あのデザインって1949年に作られてから、ほとんど変わっていないそうです。
途中で文字がゴシック体に変わったくらいで、基本の図柄はずっと同じ。
歯車、稲穂、水平線、双葉が描かれていて、それぞれ工業、農業、水産業、林業を表していると知って、「日本の暮らしそのものが刻まれている硬貨」なんですね。
さらに、重さが3.75グラムで、江戸時代の単位「1匁」に合わせてあるという話も知りました。
そこまで考えて作られているなんて、ちょっと信じられない気持ちになります。
しかも五円玉って、よく見ると英数字がどこにもないんですよね。
「5」も「JPY」も書かれていません。
完全に日本語だけで成立している硬貨だということに、最近になって初めて気づきました。
どうして五円玉が「ご縁」と結びついているのかも気になって調べてみたのですが、日本では昔から、人と人の出会いや出来事はすべて縁によって成り立つという考え方があって、「ご縁」と「五円」の語呂合わせが信仰や習慣と結びついて、賽銭に五円玉を入れる文化が広まったと言われてます。
確かに神社に行くと、自然と五円玉を選んで入れていました。
海外の人が五円玉を見て、「これは通貨というより祈りを託すためのものなのではないか」と感じたという話も読んだことがあります。
普段はただの小銭に見えているものが、実は願いとか祈りとか、そういう目に見えないものを込める存在だったのかもしれないと思うと、なんだか見え方が変わってきますね。
そんなふうに五円玉のことを意識するようになってから、神社に行くときの気持ちも少し変わった気がします。
なので、これまで何気に「お願い事をする場所」という感覚が強かった神社ですが、先ほどの五円玉の情報にふれてから、さらに「ご縁に感謝したり、これからのご縁を大切にしたいと願う場所」という気持ちが強くなった気がします。
そうなると、参拝の記録として残る御朱印というものにも、自然と興味が出てきました。
最初はスタンプラリーみたいなものかなと思っていたのですが、調べてみると、もともとはお寺に写経を納めた証としていただく印だったそうです。
もともとは寺院に写経を納めた証として授与された印で、現在は神社でも参拝の証としていただけるようになったわけですね。
御朱印帳も、ただのノートではなくて、参拝の積み重ねが形として残っていくものなんですよね。
ページを開くと、いつどこに参拝したのかが一目で分かるし、そのときの空気感や気持ちまで思い出せる。
そういう意味では、五円玉に願いを託す感覚と少し似ている気がします。
神社でお願いをするときの作法も、ちゃんと知っておきたいです。
よく言われるのは、お願い事をいきなり言うのではなく、まず感謝を伝えるということ。
今まで無事に過ごせたことや、支えられてきたことへのお礼を伝えてから、願いを伝えるほうがよいとされています。
また、お賽銭についても「金額が多いほどよい」というものではなくて、気持ちを込めて納めることが大切だそうです。
だからこそ五円玉が選ばれてきたのかもしれません。
そして、御朱印をいただくときも、参拝を済ませてからお願いするのが基本だと知りました。
順番としては、参拝が先で、御朱印はその証なんですね。
こういうことを少しずつ知っていくうちに、神社に行く時間そのものが以前より静かな気持ちで過ごせるようになった気がします。
参拝して、五円玉を納めて、御朱印帳を差し出して印をいただく。
その一連の流れが、自分の中では「ご縁を大切にする時間」みたいに感じられるようになりました。

